ヴロツワフ、第二次世界大戦頃まではドイツの一部であったこのポーランド西部の町はおとぎの国のようだった。オドラ川の支流が至る所にあり、色々なタイプの橋が見られ、この町は、「北のヴェネツィア」や「ポーランドのヴェネツィア」と呼ばれている。またクラクフと違い、ヴロツワフでは天気にも恵まれ良かった。 | ||
この橋を渡ると、Tumski という中州に浮かぶ小さな島に入る。数分歩くと、巨大なゴシック様式の聖ヨハネバプティスト教会に辿り着く。 |
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そして、この教会には展望台が設置されており、そこからの眺めは最高だった。自分が通ってきた道もはっきりと見え、ちょうど夕暮れ時であったこともありヴロツワフの町が美しく陽に照らされていた。オドラ川にかかるたくさんの橋もここからは確認出来た。 | ||
1940 年 4 月、カティンの森でソヴィエトの秘密警察によって 22,000 のポーランド人が殺害された。このモニュメントはその悲惨な出来事についてである。 | ||