11:00AM 過ぎに CIS に乗り込む。1等の席を確保出来たが、空いていた席もどんどんと客が乗り込んで来て埋まってしまい、横はドイツ人中年夫婦とその娘。そして前にはイタリア人の女子学生のような3人組。席の前向かいはアメリカ人とすぐに満席になってしまった。皆、この祝日を利用しイタリアのさまざまなところへ向かっていた。静かに列車は動き出し、フィレンツェへ向かって走り出した。途中隣のドイツ人からどこから来たのか、どこに行っているのか話しかけられた。San Gimignano と答えると、前のイタリア人の女子学生3人組も、"Oh!" と笑顔で頷いていた。 そして 3時間かかってやっとフィレンツェ着。すぐにバスターミナルの場所を探すがなかなか見つからず、20 分ほど探してやっと見つけると、切符売り場の窓口が全て閉まっており、近くに座っている人にどうなっているのか尋ねると、なんと 今日は祝日だから No Bus! と言われた。ショック!仕方なく 駅に戻って電車でサンジミニャーノの近辺にあるポッジボンシというところまで行って、そこからバスでサンジミニャーノに向かうという別の行き方に急遽変更する羽目に。ただポッジボンシ行きの電車は本数が少なく、その電車出発時刻までは 3時間弱あり、ここフィレンツェで時間を潰すことになった。 時間までフィレンツェの町を散策したが、どの通りもとても人が多くなんとなくゴミゴミしているだけで、そこまで良い町という感じは受けなかった。しかもとても蒸し暑かった。時間にまだ余裕もあったし喉がからからになっていたので、店に入りドリンクとピザを注文した。その後、長い行列の出来た GROM と書かれた店があったので、何かと覘いてみるとジェラートの店だった。有名な店なのかどうかは知らないが並んでバニラを食べた。味は濃厚でまぁまぁ美味しかったがそんなに有名な店なのだろうか? |
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ポッジボンシの駅はとても小さくフィレンツェと違って観光客も殆どおらず、駅の横の bar には地元のイタリア人オヤジたち数人が酒を飲みながら話していた。日本で調べていた時は、ポッジボンシはシエナやフィレンツェ、ポッジボンシなどに行ける中継地点のようになっているように書かれていたためわりと大きなバスターミナルと思っていたが、駅前には何も無く人も殆どおらずとても寂びれたところで、タクシーすら全然見られなかった。 Bar の中年の店員にサンジミニャーノ行きのバスを尋ねるが英語が通じず、やっと片言英語の話せる bar で飲んでいる人がいたが、その人曰く、今日は祝日だし しかもストになってしまったからバスは走っていないよ、とのこと。途方に暮れ、ポッジボンシを少し歩いてみるがタクシーは全然見つからない。歩いている人にタクシーを聞いても英語からして通じない。(イタリア人は本当に英語が出来ない人が多い。)夕暮れ時になり、あたりが徐々に暗くなり出しだんだんと不安になってきた。もうサンジミニャーノの近くまで来ているというのに…。暫くして、Car Parking の標示の下に、個人タクシーらしき携帯電話番号が書かれていたので、一つずつ電話してみたが、当然イタリア語で電話に出られ、英語で話してもまた英語が通じない。一生懸命イタリア語で何か言っているのだが意味もわからず、ここまで来てくれるのだかどうなのかすらわかずじまいであった。その他にも電話してみるが、同じ結果で、話しの途中で電話を切られ、そでも何度か必死に電話をし、切られたら次のタクシー会社に電話しを繰り返した。 すると、そこに “Are you looking for a taxi?” と英語で話しかけきた人がいた。同様にサンジミニャーノに向かおうとしているのにその交通手段が無く途方に暮れているニュージーランド人だった。そのニュージーランド人は、レンタカーを借りていたらしいのだが、シエナでレンタカーをぶつけられたらしかった。それからはその人と一緒にサンジミニャーノまで行こうと色々な人に聞いて回った。やがて 20代前半くらいの英語が堪能な地元のイタリア人男性が来て、自分がそこに書かれているタクシー会社と話してやると親切にも言ってくれたので、彼に僕の携帯を渡すとイタリア語で Parking の標示の下に書かれていた電話番号に電話してくれた。すると、今日はバスが走っていないために、観光客がタクシーを利用する人が多く混んでいて、ポッジボンシに来れるのがどの個人タクシーも 30分以上はかかるとのことだった。辺りはさらに暗くなってきてそのニュージーランド人も僕もさらに焦っていて、彼は片っ端から地元のイタリア人にサンジミニャーノまで乗せてくれないか頼んでいたが、そこには行かないと次から次に断られてしまっていた。そして、そのニュージーランド人は、駅に車で乗り入れてきた地元のイタリア人に、金を払うからサンジミニャーノまで連れて行ってくれないか?としきりに頼み続け、やっと OK してくれたので 2 人で一緒にその車に乗り込んだ。(彼の大胆かつ根気強さには頭が下がった、と同時に彼のおかげで助かった)僅かな不安はあったがほっとして救われた思いだった。10分ほどすると夕暮れ時の彼方遠くに、テレビや写真で見た、小高い丘の上にひしめき合うように建つ塔の町、サンジミニャーノが見えてきてここでやっとホッとした。サンジミニャーノの城壁入口に着き、彼も僕も10ユーロ払って降り、そこでそのニュージーランド人とも別れた。もう時間は既に 8:00PM を回っていた。この小高い丘からのトスカーナの眺めは最高に良く、「あ~、ここがトスカーナだ!トスカーナに来た~!」と感慨深いものがあった。ただ、ここからがまた大変だった。 塔の町サンジミニャーノは、少し離れたところからではないとそのいくつもの塔がそびえ立つ絶景が見られないということで、ここから何キロか離れたところのホテルを予約していた。予めそのホテルの場所は地図で調べており、歩いてもそれ程の距離ではないとたかをくくっていたが、実際はそう簡単には辿り着かなかった。そのホテルまでの簡単な地図を手に、恐らくこの方向だろうと信じ、丘を下って歩き出した。しばし トスカーナの "巡礼の旅" の始まりである。 この頃にはもうかなり薄暗くなっており、ましてや広大なトスカーナの道をこの時間に歩いている人も全くいなかったが、オリーヴ畑やブドウ畑を横目にトボトボ歩きだした。道は右に左にかなり蛇行し、しかも上ったり下ったりがあったが、雄大なトスカーナの大自然に抱かれ、ここをこうやって歩いていることに 疲れ果てていたものの少々うれしくもあった。 でも途中前からも後ろからも車が凄いスピードで走っていくのは嫌だった。途中、本当にこの道でホテルの辿り着けるのか?と思ったが地図で照らし合わせ、この道でいいはずと確認し、歩き続け、そして1時間ほど歩くとやっとホテルの名前の標識があり、この道で正しかったことを確信したがもう辺りは真っ暗だった。そして10分ほど歩くとようやくホテルの到着。もう9:00PMだった。 ホテルスタッフは暖かく出迎えてくれたが、サンジミニャーノからここまで歩いて来たというと、とても驚いた顔をされた。そして部屋を案内され、夜はそのホテルの ristorante で食事をと思い場所を聞くと、ここは朝食しかサーヴしておらず、夕食を取るならここから 1km 行ったところにしか無いと言われ、cold meal で良ければ作って部屋まで持って行ってやると言ってくれたので、それをお願いした。10分ほどで持ってきてくれたが、生ハムやチーズ数種が大きな皿にたくさんありその日はそれをたいらげ、すぐに寝た。 本当に長く波瀾の 1日だった。ミラノからここまでの行程にこんなに苦労するとは。とにかく 5月1日 May Day という祝日に、フィレンツェからサンジミニャーノまでのバスが運行されていなかったのが一番痛かったのだ。そしてイタリアは先進国で最も英語が通じない国ということを実感した。でも以前同じイタリアであるヴェネツィアに行った時はそんな印象は受けなかったが。あと、やはりトスカーナを旅するには車は必須!バスは、今回のように運行されていない日があるようだし、あっても本数が少ない。また日によっては途中までしか行かず、目的地までは運行されていない時もあったりする。Day 2 につづく… |
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