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地図を片手に、ロベルト・シューマンがクララ・ヴィークと暮らしていた シューマン・ハウスへ行く途中、ライプツィヒ大学の前を通った。

この大学は 1409年に創立された、ドイツで 2番目に古い大学。ただ、2012年に こんなに斬新で近未来的なデザインの校舎に建て替えられた。

シューマンはこの大学に通っていたが、音楽に強い興味がありながらも、母の勧めがあり、大学では不本意ながら法学を学んでいたらしい。

シューマン以外にも、ゲーテ、ニーチェ、そして J.S. バッハの次男 C.P.E. バッハ、森鴎外、さらには ドイツの首相、アンゲラ・メルケルもこの大学で学んでいた。

 

ライプツィヒ大学のすぐ前には、この小さなブロンズの模型が当時の姿を物語るかのように置かれており、1409年にライプツィヒ大学が創立される前は、この場所に 1231年創設のパウリナー教会が元々は建てられていたらしい。

その教会は、現在でも ライプツィヒ大学の敷地内で大学付属のパウリナー教会として機能している。

2012年に建て替えられたライプツィヒ大学の校舎が、 近未来的なデザインの中にも、800年ほど前にこの地にあったパウリナー教会の姿を彷彿とさせるのは、そのような歴史を踏まえてデザインされたからに違いない。


 
 

子供の頃、家に黄色いレイベルのドイチェ・グラモフォンのレコードアルバムがあり、そのレコードがゲヴァントハウス管弦楽団の演奏のものだった。子供ながらに、この "ゲヴァントハウス" という名前の響きに、敷居の高さ、さらに、おどろおどろしさえ感じ、どこかしら近寄りがたい印象を抱いていたことを今でもはっきりと覚えている。

ゲヴァントハウス管弦楽団のホームである、ゲヴァントハウスの前に立ち、そんなことを思い出していた。

そのゲヴァントハウス管弦楽団、1743 年に創設された世界最古のシンフォニー・オーケストラで、1835 年には、26 才の若さで フィリックス・メンデルスゾーンが指揮者 兼 音楽監督を務めていた。

因みにこのゲヴァントハウス コンサートホールは 開館 200年を記念して 1981年に建てられた 3代目のゲヴァントハウス。初代のゲヴァントハウスは 1781年 オープンだった。

 

Mendebrunnen という噴水は、遺贈した Pauline Mende パウリーネ・メンデからメンデ噴水と呼ばれ、ゲヴァントハウスの正面にある。

その後ろには、素晴らしい青空が大学校舎のガラス壁に映り込み、輝いてきれいだった。

 

マーケットスクウェアに比べ、ここアウグストゥス広場は さらに活気に溢れ、ライプツィヒ大学の学生や子連れ家族等で賑わっていた。ゲヴァントハウス、オペラハウス、大学、博物館など歴史的 文化・芸術・教育機関に囲まれ、僕がいた時には観覧車や回転木馬までも設置され、広場一帯が殆ど遊園地と化しており楽しい雰囲気に包まれていた。

 
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