シューマン・ハウスから戻る途中、この建物の前を通った。クラシカル音楽では世界で最も著名な楽譜出版社、Edition Peters ペータース社の建物。今では、ニューヨーク、ロンドンにもオフィスがあるが、1800 年にここライプツィヒで創立され、ここがその本拠地。ただそのわりに、周りの環境もとても静かでひっそりとしていた。 Edition Peters の楽譜は、僕が普段ピアノを弾く際に最も使っている長年 馴染みのある楽譜のため、この建物を通った時は、「ここなのか!」 という感じだった。 |
そして、そこからほんの 1 ブロックほどで、メンデルスゾーン・ハウスに着いた。 シューマンと共に活躍していた フィリックス・メンデルスゾーンは、1845 年からの晩年をこの家で生活していた。
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メンデルスゾーンから歓迎され、ゲートを潜った。 |
入口ドアを開けると、壁には メンデルスゾーンは 1847 年 11 月 4 日にこの家で亡くなったことを記すプラークが貼られていた。 |
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何もかも ほぼ当時のままの姿をとどめていたシューマン・ハウスとは打って変わり、ここメンデルスゾーン・ハウスは、最新のハイテクノロジーが取り入れられていた。"Effektorium" と名付けられた "高架館" という部屋では、メンデルスゾーンの 5 つの作品の中から好きな曲を選び、指揮台に立ち、指揮棒を振ると、ソプラノ、アルト、テノール、バスの演奏家たちに見立てた 13 本のトールスピーカーが音を奏で、指揮棒を早く振ると早いテンポで演奏され、遅く振るとそれだけゆっくりと演奏されるのだ。 |
指揮台に乗り、目の前の譜面台に載っている 5 つの曲の中から、 Abschied vom Walde "森への別れ" を選んだ。どんな感じなのかと指揮棒を振ってみると、 もの凄く良い アクースティック・サウンドで部屋中に響き渡った。 オーケストラの演奏家たちに見立てた一つひとつのポールが、皆こちらを見ているようで、幾ばくかの責任感と緊張感のようなものを感じながらも どんどんと楽しくなり、さらに、この部屋に自分以外 誰もいなかったこともあり、調子に乗って、堂々と、悠々と指揮棒を振り、束の間の指揮者気分を満喫した。 大勢のオーケストラのメンバたちを率いて、指揮者として指揮棒を振ってみたいという、一度は誰しもが考えるその夢を、仮想ではあるものの叶えてくれる素晴らしいものだった。 メンデルスゾーン・ハウスではこの体験が最も楽しく、印象に残っている。 |
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2 階に上がると、実物大のメンデルスゾーンが立っていてここでも歓迎された。 |
そして、側にあったこのメンデルスゾーンの肖像画。この肖像画をこれまでに何度見てきたことか。 クラシカル音楽の他の作曲家たちに比べ、かなり裕福で貴族的な家庭で生まれ育ったメンデルスゾーンは、描かれているこの表情や風貌からも余裕と品格が滲み出ている。 |
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ここがメンデルスゾーンが作曲活動に専念した場所で、このメンデルスゾーン・ハウスで最も重要な部屋。わりと小さめの印象を持った。 |
ショパン、シューマン、メンデルスゾーン、リスト等のロマン派の全盛期、その時代のピアノはこんなに小さなものだったのだが、彼らは一体どのようにしてあんな珠玉の名曲をいくつも作曲できたのだろう、と不思議になることがある。 |
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窓際に置かれた メンデルスゾーンの胸像。あのワイマールにある ドイツの 2 大詩人・劇作家、ゲーテ=シラーの記念碑を制作した 19 世紀の著名な彫刻家 Ernst Rietschel エルンスト・リーチェルが手掛けたのもの。
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このメンデルスゾーン・ハウスを訪れる人の殆どはこの建物の裏にある庭を見逃してしまうようで、実際 僕が行った時も誰もいなかったが、その庭のど真ん中には、メンデルスゾーンの胸像が見られた。 メンデルスゾーン・ハウスの中で見た胸像や これまでに見てきた落ち着いた佇まいの胸像とは全く違い、天を仰ぎ見るこのメンデルスゾーンの胸像はとても勢いがあり活力の感じられる胸像だった。 |
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1 階の出口付近には、ギフトショップがあり、メンデルスゾーンに因んだ記念品をはじめ、クラシカル音楽ファンにとっては堪らない品々が多く取り揃えられていた。 中には、ペータース社の楽譜のミニチュア版が色々な作曲家で並べられており、可愛らしく、ショパンにしようか、シューマンにしようか、と迷ったが、折角 メンデルスゾーン・ハウスで購入するものだし、ここに来た記念として、メンデルスゾーンのものにした。 それがこの写真の左のもの。右のものは普段僕が使用しているペータース社の楽譜。まるで親子のようです。 |
外に出ると、もう夕暮れ時。ホテルのあるマーケット・スクウェアへ帰る途中、時計台の広告が目に入り、あっ!と思った。それは メンデルスゾーン。 "Sie! Gehen sie zurück." (そこの君!戻りたまえ。)と書かれた掲示版は、ほんの今訪問してきたばかりのメンデルスゾーン・ハウスの広告だった。営業時間とコンサートの時間、そして、100m 戻って右、と行き方まで書かれていた。 この町は少し歩くだけで、次から次へと名だたる作曲家の像や看板、そして彼らの縁の場所で溢れている。 |
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