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その後、さらに奥に進んで行くと、この部屋は "Fertile Creativity 1848–1850" と題され、日本語では、"作品 大豊作時代 1848年 ~ 1850年" とでも言えようか、ロベルト・シューマンの作曲が最も実り多く、また クララにとっても最も幸せ時期であったと考えられている。

 

ちょうどその時期、シューマンは Waldszenen Op. 82 , "森の情景" 作品 82 を作曲し、これはその初版原譜。

 

そして最も奥にあったこの部屋、シューマン生家で最も重要な部屋である。ロベルト・シューマンは、この部屋で生まれた。ロベルトやクララが使用していた家具が見られ、ロベルトが作曲の際に使っていたスタンディング・デスクや、ロベルトが敬服していた J.S. バッハやヘンデルの胸像、そして、クララが購入したベートーヴェンとシューベルトの肖像画が壁に貼られていた。

部屋中央にはグランドピアノ。このピアノは 1827 年にウィーンでアンドレ・シュタインによって製作され、クララがライプツィヒのゲヴァントハウス初演で演奏したピアノ。

ドイツ国外では殆ど知られていないようだが、ドイツが通貨ユーロを導入する以前の通貨 ドイツマルク、その 100 マルク紙幣の裏面に描かれていたピアノ、それはまさにこのピアノなのである。

今日、音楽に興味の無い人でさえ ロベルト・シューマンは誰しもが知っている作曲家であるが、当時のドイツでは クララ・ヴィーク・シューマンの方が遥かに世に知られ、どれほど偉大な人物であったかはこんなところからも想像に難くない。

 
 

ロベルト・シューマンとクララの生涯にどっぷりと浸りシューマン生家をあとにした。帰りのトラムが来るのを待つ間、少し周辺を散策した。ツヴィカウのゲヴァントハウスは 2018 年でちょうど 900周年だったようで、その修復工事がされていた。

ゲヴァントハウスの前には、これまでのゲヴァントハウスの姿の移り変わりが貼ってあり、1673年当時から今日に至るまで変貌が見て取れた。

 
 

そのゲヴァントハウスを見つめるシューマンの像の後ろ姿は、まるでこのツヴィカウの町を見守っているかのように見えた。

  帰りはわりとスムーズにトラムとバスを乗り継ぎ、ツヴィカウの駅に戻ってきた。
 

ようやく ロベルト・シューマンの生家を訪れることが叶い、また、クララ・ヴィーク・シューマン生誕 200年という年に訪問できたことも、本当に至福な体験ができた、そんな思いでライプツィヒに戻って行った。

 
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