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もう日も暮れてきていたが、今朝 いたトマス教会前の広場に戻ってきた。人気も少なくなりバッハ像の周りも静かだった。

 

閉館する前にと、すぐにバッハ博物館に入った。ロビーには最も馴染みある J.S. バッハの胸像が置かれていた。

1 階には J.S. バッハ自筆の楽譜等があり、2 階に上がると、ゆかりの品々が展示されていた。

 
 

バッハ博物館はいくつかの部屋に分かれているが、その中の一部屋にはバッハの生きたバロック時代の楽器がいくつも展示されており、その殆どは初めて目にするようなものばかりだった。

これは、1743 年 12 月 13 日に J.S. バッハがヨハネ教会で演奏したパイプオルガンの演奏台らしい。これまでの数々の戦禍を免れ、奇跡的にこの形で残っており、かなり貴重なもの。

 

さらに、バロック時代に流行っていたリュートも展示されていた。リュートの音色は、クラシカル音楽というよりも、どこか異国情緒漂うアラブの音楽を感じさせるが、J.S. バッハもリュートのための作品をいくつも残している。

ただ、弦の数が少ないものでさえ 11 本もあり、多いものでは 26 本もあったらしく、その演奏の難しさから ギターやマンドリンに代わられ、急速に廃れたらしい。

 

J.S. バッハの家系図。誰もが知る ヨハン・セバスチャン・バッハのみならず、家族、そして親族とそのご先祖から音楽家の一族で、バッハ家は代々音楽を生業とした家系だったのだが、改めてこの家系図を見ても、 ヨハン・セバスチャン・バッハ以外に何人もの "音楽家 バッハ" が見られる。僕が知っているだけでも Johann Christian Bach ヨハン・クリスチャン・バッハ や Carl Philipp Emanuel Bach カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ。バッハ一族にとっては、音楽は殆ど職人のようなものであったのかも知れない。

 
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